なぜ、不動産事業を生業として選んだのか。
どうして、この仕事にこだわっているのか。
私の脳内を恥ずかしいですが、言葉にしてお伝えしてみようと思います。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
生まれてから社会人になるまで
淡路島で建設資材商社を営んでいた二代目の父、木材屋の娘の母のもとに生まれました。
姉と弟の真ん中で、小さいときは結構気難しかったようです。
幼稚園で社会デビューにつまずいてしまい、1週間に3回行けば上出来という学校生活を高校生になるまで送っていました。
父は25歳から会社経営をしていたので、ほぼ家にいない人でした。
ただ、記憶の中にいる経営者の父はいつも周りに慕われて、困った人がいたら、資金援助をしたり、いつも人を助けてあげていたように思います。
そんな父もすごく落ち込む時があり、そんなときは仕事で何か大きなトラブルがあったり、不当たりにあったり、誰かが亡くなったりしたときでした。
小学生の私にとって、自ら命を落とす人がいるというのが衝撃的でした。
父の周りには沢山の経営者がいて、家族・親戚もみな自営業者ばかりでしたが、事業が上手くいかなくなって自ら命を落としてしまう人がいるという事を知りました。
中学生になった頃、TVでたまたま見かけたのが、ある弁護士のドキュメンタリー番組でした。会社倒産の危機を弁護士の先生が救うという内容のもの。
その頃はそれが社長の命を救う唯一の方法だと感じました。
私もいつか、困っている人や会社経営で苦しんでいる人を救いたい。
命を落とさなくても他に方法があることを伝えたいと強く思いました。
その頃は弁護士になりたい!と思ったのですが、読書嫌いのわたしはすぐに諦めてしまいました。
高校からはオーストラリアのメルボルンに単身留学しました。
留学してはじめて感じた「自由」でした。
淡路島は私にとっては息苦しく、常に父の会社、姉の存在、世間体などを気にしながら生きることが苦しくてたまりませんでした。
オーストラリアで永住しようと思った私は当時ビザが取りやすいと言われていた会計の専門家(CPA)になろうと思い、大学で会計学と金融学を専攻しました。
大学卒業後は、もっと都会にいきたい、もっと刺激の多い街に住んでみたいという思いでニューヨークへ渡米しました。
そんなとき、父の会社が経営不振で倒産してしまいます。
まさか自分がそんな境遇になるとは思ってもいませんでしたので、ただただ驚きました。
仕事と結婚
父の会社倒産後、直ぐに東京で仕事に就きました。
本当にやりたい仕事なのかは考えず、とりあえず賃貸物件が借りやすい正社員の仕事にこだわりました。
その当時、東京で仲の良い友人もいなかったのですが、ちょっと親しくなった人に家族の状況を伝えたところ「自分の親は税理士だから、そういう境遇の人は…」と言われて連絡が取れなくなったことは今でも忘れられません。
1年半外資系の映画配給会社でOLを続けた後、プロゴルファーのマネージャーをしている夫と出会い、すぐにこの人だ!と思い、結婚することに。
トムクルーズ主演の「THE AGNET」を観て(最初に一緒にみた映画もこの映画でした)アスリートのマネージメントを志したようなのですが、すでに20年以上も続いているので、心からやりがいを感じながら、アスリートのサポートを全身全霊を尽くしておこなっています。
そして、当時は都内の企業に勤めていましたが、会社のエレベーター内で「子供産んでもまだ続けるの?」という先輩の一言で私のOL時代は呆気なく終わります。
そんな言葉をかけられたとき、自分のこれからを深く考えるようになりました。
限られた時間の中で「何となく」仕事をしてはいけないということ。
不動産業との出会い、幸せのスタートを後押しする仕事
仕事を辞めた後は子育てにも慣れず、産まれたばかりの息子と過ごす毎日でした。
近くに住んでいる義兄をみて、一人で大きめの案件をこなしているけど、どんな仕事なんだろう。
そんなふうに興味をもったのが、「不動産業との出会い」です。
(義兄は新築収益物件を建築する不動産会社を経営しています)
そこから宅建をとって業者免許登録するまではあっという間でした。
何をしたいか。
自分に何ができるのか。
どうやって自分の人生生きていくのか。
明確な目標はないけど、とにかく一筋の光を頼りに勉強しながら、宅建士を取得しました。
不動産会社で勤めた経験もないので、どこから手をつけていいのか分かりません。
はじめはアメリカから帰ってきた弟の賃貸仲介をしました。
千駄木の徳山社長のもとでアルバイトもさせてもらいました。
その後は姉の賃貸仲介、姉の友人の賃貸仲介と少しずつスタートしていきました。
管理の仕事や収益物件の土地仕入れや売却仲介、戸建や都内のタワーマンションの売買仲介を重ねて、今月で10年という月日が経ちました。
そして、ふと思いました。
私の小さかったときの夢でもあった 「人を助ける」 ということができているだろうかと。
私の今の仕事は困った人を直接的に助ける仕事ではありません。
どちらかというと幸せのスタートの後押しだと思っています。
でも、将来、住宅ローンの支払いで困らないように。
思っていたのと違ったからと買い直ししないように。
物件の高掴みをしてアパート経営で行き詰まらないように。
前段階でアドバイスすることで誰かの力になれると思うようになりました。
家計の歯車が狂ってしまうと、なかなか元には戻せません。
人のストレスは「お金」からくることも多くあります。
だからこそ、家を買うとき、収益物件を買うとき、リスクについてはできる限りお伝えして、決して無理に買うことのないようにしていく。
それが、今の私ができることだと思うようになりました。
不動産会社といえば
物件を売りつけられる
強引に購入をすすめられる
と思われがちですが、私が思い描いている不動産会社で働く人はもっと温かい人たちです。
買ってもらうことが仕事ではなく、そこに住んで満足してもらう。
満足してもらうために、納得できる物件を選んでもらう。
私たち全ての人に「選択する自由」がある。
そのことに不動産取引を通じて感じてもらいたいのです。
子育て中の方には、教育環境やいざという時の子供の預かり先、病児保育や緊急病院が近くにあるか。
(私も泣きながら息子を抱えて病院を探した経験があります)
日当たりがよくて、風通しがよく、住んでいて気持ちがいい空間か。
料理しているときも子供の様子が見れるキッチンづくりになっているか。
家族で実家に帰ることが多い方には、雨戸がついている家を。
タワマン好きだが、せっかちな旦那様には専用エレベーターがあるお部屋を。
そんな見えない「ちょっとした満足感」を感じてもらえると最高に嬉しいです。
無理のない住宅ローンを組んでおけば、いざという時にも備えられる。
そして、どうしても難しい場合は手放す選択肢がある。
家を通じて幸せになっても、不幸になることは絶対にあってはいけません。
そんな想いで日々この仕事に取り組んでいます。
不動産業ってわりと素敵な仕事だと思いませんか。
わたしはこの仕事に出逢えて心から嬉しく思っています。
これからも沢山の方とご縁をいただけることを楽しみに今日も東京のどこかで小走りしています。
榎本 佳納子