誰のために書く?

すっかりご無沙汰してしまった「えのかなの日報」。
何度も書こう!と試みては下書きに残していたのですが、どうしてもアップ出来ない日が続いていました。
私がそもそも日報を書き出したのは(株)グラウンドの鈴木さんの半強制によるものです(笑)
はじめは書きたくない!!と言う私に「誰かたった一人のひとに向けて書いてみると良い」とアドバイスをくれました。
(株)グラウンドの前川さんはご自身のお母さんに向けて日報を書いていると聞いて、よし!私も母に向けて書こうと思ったのですが、私の母は勉強よりお手伝いできる子でいてほしい。そんなに頑張らなくていい。生きてるだけで合格!というタイプの母。
私の日報を読んでもおそらく「早く寝なさい!」という言葉しか聞こえてこないので、母に向けて書くのは早いうちに辞めてしまいました。
そこから未だ見ぬお客さまに向けてとか、同業者の人に向けてとか色々迷走するのですが、一年前からALSと診断された義母に向けて書こうと思い、今までずっと続いていました。
義母は65歳で3ヶ月の勉強で宅建に一発合格するくらい、いつでも全力な人でした。
「貴女の日報を読んでいると清々しいわ」「今日も頑張りましたね」と優しい言葉を書けてくれていました。
亡くなるちょっと前も日報をアップした後にLINEスタンプが来たり、一言コメントが来たり。
ALSの病気のせいで、日に日に手先が不自由になっていましたが、最後までブログを読んでくれていたことが嬉しかったです。

介護の日ほど日報は欠かさない

土日に内見や契約が入っていないときは介護のために家族で泊まりがけで千葉によく行っていました。
千葉に平屋を買ったのも義母のためです。
私の名義でセカンドローンを組んだのも、義母が喜んでくれると思ったから。
(実際に天国に一番近い場所だわ。。とよく言っていました)
正直、胃瘻やトイレの介助、着替え等はとても大変でした。
それに、子どもたちのことや家事、仕事をやりながらだと目が回るほど忙しく一日が過ぎていってしまいます。
それでも日報を書くと自分がしてきたことが整理され、グチャグチャだった一日にも「意味があった」と思わせてくれるし、何より義母に「介護しながらでも、仕事もちゃんとやってるよ!」と気を遣わせないためにも日報はちゃんと書いていました。
まだ後悔の気持ちがあったり、こうしてあげたかったということも沢山あります。
だからこそ、これからも色んなところで私が体験したALSという病気について話していこうと思っています。
家族も本人も本当につらい思いをする病気だと思います。
(ALSだと分かった日に夫が声を出して泣いた姿が今でも忘れられません。)

それでも最後まで家族のためにずっと笑顔で過ごしてくれた義母が愛おしくてたまりません。
まだ誰のために日報を書けば良いのか正直分からないのですが、こんなまとまっていない私の日報でも読んでくださる方がいると信じて、また毎日コツコツ頑張ってみようと思います。